演歌歌手扇ひろこの現在。子供や年齢は?「「新宿ブルース」「哀愁海峡」「未練の涙」の誕生秘話は?
出典:[amazon]スター☆デラックス 扇ひろ子 新宿ブルース 華の女道
歌手の扇ひろ子さんを色々な角度から掘り下げて行きます。
目次
プロフィール
- 芸名 扇ひろ子(本名 田辺 博美)
- 生年月日 1945年2月14日
- 出身地 広島県 広島市
- カテゴリー 演歌歌手
- 活動開始 1964年
- 所属レコード会社 コロムビアレコード
現在。子供や年齢は?「「新宿ブルース」「哀愁海峡」「未練の涙」の誕生秘話は?
2021年は、歌手デビュー55周年を迎える節目でもあり、2021年4月21日に記念曲『扇ひろ子「My Valentine 〜2月14日に生まれて〜』をリリースし、同月26日に池袋のメトロポリタンホテルにて歌手生活55周年ディナーショーを開催しました。
子供はいないようですが、実は2度結婚しています。1度目は鹿島密夫氏と現在の夫は田辺秀昭氏こちら事務所の社長を務めており、夫婦二人で芸能界の荒波を乗り越えているようです。
年齢については、1946年2月16日生まれ76才となっています。年齢相応な歳のとり方をしており、今後も体が元気な限り歌を歌い続けて行くと思います。今後の活動が楽しみです。
ここからは、扇ひろこさんの楽曲「「新宿ブルース」「哀愁海峡」「未練の涙」について書いて行きます。
『新宿ブルース』作詞は、滝口暉子、作曲、和田香苗のコンビで製作された楽曲です。まず、レコーディングはオーケストラをスタジオに入れてする予定がだめ出しによりバンド形態へと変化しました。
この時、扇ひろこさんは歌手3年目で後に触れる「哀愁海峡」はヒットしていた物のそれ以外にヒット曲はなかったことと、回りの歌手がどんどん売れていく様を見て自分には才能が無いと思っておりこの曲が売れなければ引退を考えて居ました。
歌手として演歌がベースと考えて居たので、歌い込んで行くような歌を希望していましたが、こんな曲が来たと心の中でガックリしていました。挙げ句の果てにディレクターと作曲家はブースの外で揉めていました。
それは歌い方についてで、ディレクターと作曲家の意地の張り合いみたいな物で結局レコーディングディレクターの意見が通るというあまり思わしくない状況でレコーディングが進行していきました。
結局、譜面通りに童謡みたいに歌いレコーディングは終了、扇ひろこさんは心の中でふてくされながら歌っていたようです。
また、日本コロムビアは『新宿ブルース』と言うタイトルでは他の地域の人がレコードを買わないのでは無いか?と言う議論が持ち上がっていたようです。それは何故かというとこの当時ご当地ソング誕生前で歌に地名を入れることが当り前とされていなかったからです。
しかしながらこの曲は北海道で話題になり始めて売れていきました。また、沖縄はこの当時返還されておらずタイトルを沖縄ブルースと変えて歌詞も一部変更しました。『新宿ブルース』発売当時のキャンペーンの話に戻すと場所は歌舞伎町で流しの人二人と作曲の和田先生の3人で回りそれがTBSで放送されてヒットのきっかけを掴みました。
また、ヒット祈願では目黒不動尊で滝を浴びる水垢離を行い、ものすごく冷たく一緒にいたカメラマンが痔になってしまうほどでした。本当に色んな事をやってきっかけを掴んだと思います。
実を結んで良かったですが、これがあたらなかったら本当に最悪な歌手人生を過ごし今はマイクを置いていた可能性があります。レコーディング現場が揉めていたのに良くヒットさせる事が出来たと考えて居ます。
「哀愁海峡」は、作詞 西沢爽、作曲、遠藤実のコンビで製作されましたが詳しいセールスデータや情報などはありませんでした。「未練の涙」作詞、関沢新一、作曲、古賀政男さんのコンビで作られましたがこちらも詳しい情報やセールスデータはありません。
まとめ
今回は扇ひろ子さんを掘り下げてきましたが、ヒット曲を掴むまでかなりの苦労をされましたが、歌手活動55年を数えることは凄いことと言えます。今後も体が元気であればステージや作品リリースを続けて欲しいと思います。
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