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演歌歌手 石原詢子のプロフィール。結婚してる?彼氏は?紅白に出た時に歌った曲は何?

出典:〔amazon〕石原詢子 全曲集2019

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ファンサービスの良さで一度見た事がある人なら好きになってしまう魅力がある石原詢子さん。しかし、あれだけ美人なのにそのプライベートはどうなっているのか?と思うときがあり、今回はそんな石原詢子さんを掘り下げます。

プロフィール

  • 氏名 石原詢子
  • 生年月日 1968年1月12日
  • 血液型 A型
  • 出身地 岐阜県
  • レコード会社 ソニーミュージックダイレクト
  • 所属事務所 石原音楽事務所
  • カテゴリー 演歌歌手

結婚してる?彼氏は?紅白に出た時に歌った曲は何?

2019年現在独身のようです。風貌が美人のため彼氏などもいるのではないかと思っていたのですが、スキャンダルもありませんでした。歌が恋人と言ったところでしょうか?

自分が石原詢子を始めて認識したのは千年灸のCMでした。 いきなり出てきた演歌歌手と名乗るその女性はとても妖艶で、売れない演歌歌手の人なんだと認識しました。その後も同社のCM出演が続いていましたので、会社の社長と特別な関係があるのか? そんな邪推をしてしまったものです。

ではどうやって演歌歌手になって行ったのかについて書いていきます。詩吟の家元揖水流の家元の長女として生まれ、4歳から詩吟を習い始めました。 一日4~5時間の練習を課され12歳で師範となりましたが、次第に自我が芽生え始め詩吟をやり続ける事に疑問や違和感を覚える様になります。

丁度その頃テレビで石川さゆりさんが津軽海峡冬景色を歌唱しており、その姿を見て演歌歌手になる事を決意しました。

その後は、父親の説得に時間を費やしようやく2年間の期限付きで上京と演歌歌手になる事が許されます。当然東京に出てきただけで、明日から仕事があるわけではないので、アパートに住みアルバイト生活とレッスンの日々がスタートしました。

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しかし苦労の甲斐がありボイストレーニングをしているところに、レコード会社と事務所の人が訪れてデビューする話が持ちかけられました。父親との約束期間内でなんとかデビューがする事が出来ました。

1988年デビュー曲のタイトルは『ホレました』が発売されました。しかし、大々的にプロモーションされたものでは無く地道なキャンペーンがスタートしました。

その頃時代は丁度演歌よりもアイドル歌手全盛期、そのせいか苦労を強いられる形なってしまいました。

デビューから6年後、7枚目のシングル三日月情話が日本作詞家大賞を受賞し、知名度が少しずつ上がり始め、続いてリリースした夕霧海峡が20万枚のヒットを記録し、NHKのバラエティー『お江戸でござる』の仕事が決まり、コンサートの場所も徐々にグレードアップしていきました。

そして2000年念願だった紅白歌合戦に出場する事が出来ました。歌唱した曲はみれん酒、3年後にもふたり傘で2回出場しています。あれから16年紅白歌合戦に出場していません。

今現在の仕事状況はどうなっているのか気になります。ラジオ番組を持っています。番組タイトルは『しあわせ演歌・石原詢子です』が放送されています。地域も東京、大阪、札幌、九州、岐阜、で放送されています。

放送時間や曜日が地域によって違いますので、http://www.junko-ishihara.com/schedule/で確認して下さい。

コンサートやメディア出演情報もチェックできます。

まとめ

デビュー30年を数え、今なお人気は衰えません。ファンを大切にしているので演歌歌手として活動を継続できているのだと思います。今後もそのスタンスは崩さないように活動を続けていくのかもしれません。

また、キャンペーンで街のレコード屋に訪れて歌を歌ってくれるので、商品をそのレコード屋で買えばサインや握手の可能性がありますね。実物を見て新たに音楽の領域を広げるのは如何でしょうか?

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