歌手菅原都々子のプロフィール。結婚してる?出身や年齢は?「江の島エレジー」「憧れの住む町」の評判は?
出典:[amazon]菅原都々子 ゴールデン★ベスト
歌手の菅原都々子さんを色々な角度から掘り下げていきます。
目次
プロフィール
- 本名 菅原 都々子
- 生年月日 1927年8月6日
- 出身地 青森県十和田市
- カテゴリー 歌手、女優
- 活動開始 1937年
- 所属レコード会社 テイチクレコード
プロフィール。結婚してる?出身や年齢は?「江の島エレジー」「憧れの住む町」の評判は?
青森県十和田市に作曲家の陸奥明さんの長女として生まれ、その後作曲家古賀政男さんの養女となりました。古賀久子の名前でテイチクレコードから歌手デビューを果たすもその後養女関係を解消しました。
その後現在の芸名菅原都々子となり、歌手活動を継続。テイチクレコードの専属歌手となり、『風の又三郎』を発売し、現在の東京音楽大学を卒業しました。パイオニアとして韓国メロディーを我が国に紹介するなど伝道師的な役割も果たしました
歌声が哀愁を帯びており全国津々浦々まで浸透し、昭和26年に「憧れは馬車に乗って」「江の島悲歌(エレジー)」「連絡船の唄」が立て続けにヒットし人気を不同な物としました。また紅白歌合戦にも出場しトップバッターを務めました。
中でも『江ノ島エレジー』は同名の映画の主題歌であり、江ノ島ブームのきっかけとなる映画作品でした。これにより当時の若者の間で江ノ島が憧れの場所としてもてはやされるようになりました。
現在で言うところの聖地巡礼みたいな物でしょうか?因みにこの映画に菅原都々子さんも女優として出演していました。その後4作品が作られる計画が持ち上がるも制作されたのは2作のみとなりました。
その後も『月がとっても青いから』がヒットしますます歌手としての地位を固めていきました。また、この他にも『憧れの住む街』など多数のヒット曲を持っています。昭和63年の時点で歌手活動50年を迎えました。
身体が元気なようで数々のライブや十和田市文化賞などを受賞する等長年の功績が認められ表彰が相次いでいます。また、近年は歌に恩返しがしたいとボランティア活動に勤しんでおり最後にメディアに出演したのは2018年8月『思いでのメロディー』に出演したのが最後となっています。
結婚しているかについては、1973年永松英吉氏と結婚しました。当時は明治大学の教授で過去にベルリンオリンピックのボクシング代表選手でもありました。その後1992年に夫が他界しており夫婦として最後まで添い遂げたと言う事になります。
出身地に関しては青森県十和田市の出身で、地元からも表彰を受けるなどレジェンド的な存在でもあります。現在はボランティア活動に勤しんでいるため、地元で歌唱しているケースも考えられます。
年齢については、1927年生まれの92歳となります。歌手として声が出る限り続けてほしいものであると感じてしまいます。今後の動向がとても楽しみではあります。
まとめ
今回の記事では菅原都々子さんを掘り下げてきましたが、日本史の教科書に出てくるような出来事をリアルタイムに体験してきた人という印象があります。しかし一貫して芸能界で活動を継続しておりどれだけの歴史を目撃してきたのか語ってほしいものだと思います。
そうでないと貴重な事が埋もれてしまうそんなイメージです。大抵過去の事はその人が亡くなってから周りにいた人達が語るため本当なの?と思う事実か虚偽か判断に迷う事が噴出してくるのです。
それを避けるためには芸能活動だけではなく、過去の歴史を語る語り部的存在としてもまだまだ活動の幅を広げて行けそうな気がします。現在の芸能界では恐らく考えられないような良い扱いをされていたのか?それともそれほどでもないのか等も気になりますね。
まあ、昔のテレビ界は専属タレントをテレビ局が持ち、出演させると言うパターンが当り前でした。そのためひとつのテレビ局と契約したらその他のテレビ局へは出演できない取り決めになっていました。
徹子の部屋でお馴染みの黒柳徹子さんも実は、NHKの専属女優第1号と言う事でお馴染みです。レコード会社については今でも、専属契約が当り前のスタンスですが、テレビやラジオについては芸能事務所とやりとりする形になっています。
これ位色々なやり方に変わってきているので、菅原都々子さんにはそのメディアの変遷を語ってほしいものです。
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