演歌歌手 大川栄策のプロフィール。結婚してる?若い頃の評判は?「さざんかの宿」「雨の港」の誕生秘話は?
出典:〔amazon〕歌手生活50周年記念 大川栄策CDコレクション(DVD付)
演歌歌手の大川栄策さんを色々な角度から掘り下げます。
目次
プロフィール
- 芸名 大川栄策 (本名 荒巻逸造)
- 生年月日 1948年10月30日
- 出身地 福岡県 大川市
- カテゴリー 演歌歌手
- 所属レコード会社 日本コロムビア
- 所属事務所 大川栄策事務所
プロフィール。結婚してる?若い頃の評判は?「さざんかの宿」「雨の港」の誕生秘話は?
実家は家具製造店を営んでおり、3兄弟の末っ子に産まれました。高校在学中は空手、野球に熱中、歌手としての村田英雄に憧れ歌を聞いていました。高校卒業後、上京し古賀政男さんに弟子入り、昭和44年6月『目ン無い千鳥』でデビューを飾りました。
この曲はTBSのドラマ『新妻鏡』の挿入歌として使われ、問い合わせが殺到。デビュー曲にして2年間にわたるロングヒットを記録し、1回目のブレイクを経験しました。その後も地道に歌手活動を続け昭和57年二度目の再ブレイクを果たします。
その曲のタイトルは「さざんかの宿」発売から半年でミリオンセラーを達成し、この曲のヒットにより大川栄策の名前を知らない人はいないというぐらいに全国区となりました。その証拠として紅白出場と、レコード大賞他色々な音楽賞を総なめにしました。
作詞は吉岡治、作曲市川昭介で作られました。作曲の市川昭介さんはあまりの曲の出来に譜面を見せたくて大川栄策さんの自宅で帰りを待ったというエピソードがある程で、売れることを確信していたようです。
その後今はなき新宿コマで一ヶ月公演を実施、チャリティー活動にも積極的に参加し、韓国の楽曲を歌うなど歌手としての幅を広げています。また、ペンネーム筑紫竜平で楽曲制作にも携わっています。
この他映画俳優として活動もしており、演歌歌手として初めての12週連続で楽曲配信を行ったという逸話も持っています。現在も歌手活動は継続しており、平成30年にデビュー50年を迎えますますアグレッシブになりつつあります。
ここまではプロフィールについて触れましたが、ここからは更に結婚しているかどうかについて書いていきます。実は、結婚について表向きに結婚について語った事はありません。奥さんやお子さんがいるはずですが、あまりオープンにしたくないのかもしれません。
続いては大川栄策さんの若い頃について書いていきます。プロフィールでも書いてきましたが、若い頃からヒットを掴むのも弟子入りしてから1年後にブレイクし、その後も浮き沈みも比較的に少ない歌手だったと言えます。
デビュー曲でヒットを掴んでしまったので、その後少しの間は停滞期を経験しましたが、概ね恵まれた歌手人生であり、行った活動については行った後業界の評判が高く、その後の活動がうまくいったとも言えます。
先ほど『さざんかの宿』については、触れましたが、もう1曲『雨の港』について書いていきます。1986年2月のリリース曲で、昭和61年の紅白でも歌唱されました。作詞はたかたかし、作曲遠藤実さんのコンビで作られました。
まとめ
今回は演歌歌手の大川栄策さんを掘り下げましたが、歴史が長すぎてごく一部にしか触れる事が出来ませんでした。しかし、現在も歌手として活動しているので今後も新しい経歴が増えていく事は間違いありません。
しかしながら演歌界で初めて、12週連続で楽曲を配信しているとは少し驚きでしたね。どれ位のリスナーの人がこの配信を追いかけることが出来たのか?と言うところに興味がありますね。
また、楽曲制作にも関わっていると言うことなので、自分の曲もそのうち作って歌って欲しいなと思います。演歌界でも北島三郎さんが原穣二として、その他吉幾三さんも自分の楽曲を作詞作曲しています。最近はベテランの先生も段々いなくなっていくので、自分で楽曲制作を行う演歌歌手が出てきてもおかしくありません。
そのため演歌歌手の人も今後は歌手活動と作曲や作詞を行う時代になりつつありますね。
奥様、お嬢さんのこと
番組でたまに話されますよ
奥様は結婚の時拝見しました