演歌歌手大和さくらの現在の活動。結婚してる?「王将一代 小春しぐれ」「百年桜」の誕生秘話は?
出典:[amazon]合縁橋
1980年代にデビューし、僅か数年で活動を休止した演歌歌手の大和さくらさんを色々な角度から掘り下げて行きます。
目次
プロフィール
- 芸名 大和さくら (本名 片江美紀 )
- 生年月日 1970年5月26日
- 出身地 佐賀県
- カテゴリー 演歌歌手
- 活動期間 1988年~1994年
現在の活動。結婚してる?「王将一代 小春しぐれ」「百年桜」の誕生秘話は?
現在は引退状態で活動していたのは1994年までです。引退の理由に関してはデビューと同時にブレイクしたため、プレッシャーが強くそのプレッシャーに勝てなくて芸能界を引退したというのが真相のようです。
家庭の事情などで生活環境が悪く、金銭的に困っている場合などはどうしても売れたいというハングリー精神がありますが、それが無い場合は生活環境の変化が急激に変わると体に変調を来たしてしまうこともあり得ます。
そのため芸能界引退を選んだ可能性があります。ブレイクすると色々な人が尻馬に乗って一稼ぎしてやろうと言う人間が集まって来てブームが去るとそう言った人間も離れていくというパターンで才能のある人間が消されていきます。
そんなことに巻き込まれて疲れてしまったという可能性があります。しかしながら、その影で北岡夢子というアイドルがいきなりはしごを外されたという現実もあります。彼女はもし大和さくらさんがいなければどんな芸能人生を歩んでいたかわかりません。
結婚しているのかについては、調べてみましたが詳細はわかりませんでした。今後、どこかのメディアの取材に応じる機会があるとしたなら現在結婚しているか否かが明らかになると思います。
ここからは、大和さくらさんの楽曲「王将一代 小春しぐれ」「百年桜」について書いて行きます。「王将一代 小春しぐれ」作詞、吉岡治 作曲、市川昭介のコンビで作られた将棋棋士の妻の歌です。
作詞、作曲陣もベテラン陣を揃えており、売るために依頼された鉄板の楽曲とも言えます。結果としてスマッシュヒットを記録し、その後芸能活動をしやすくなりました。バックに都はるみが付いていたためその名前も手伝ってブレイクした可能性が高いです。
1988年の演歌界は、丁度低迷期でそんなところに現われた新星という位置づけです。顔も可愛かったことと、事務所のプッシュがあって新人としてはかなり恵まれた環境でデビュー曲がリリースされました。
1988年のオリコンヒットチャートでは、デビュー曲ながら年間93位に入り込み大健闘と言えます。この年のヒットチャートの特徴として100位の中に10曲以上が入り込んでいますが、マスコミの潮流としてアイドルソングとロックを取り上げることが多く演歌についてはあまり取上げられる事はありませんでした。
続いて「百年桜」は、1989年にリリースされたサードシングルで、セカンドシングルのキブンは赤い夕陽の三度笠をカップリングにして発売されました。作詞、作曲はデビューシングルと同コンビです。
デビュー曲とは違い年間ベスト100位にも入りませんでした。この曲に関してはプロモーション不足という事は否定出来ません。丁度良くコブシが利いておりとても上手いというイメージがあります。
俺とおまえで百年超えても生きて行こうと言う夫婦演歌に仕上がっています。歌の内容は当時の大和さくらさんの年齢から考えると難しい歌だと思いますが、余裕を持って歌いこなしていると言う感じを受けました。
まとめ
今回は大和さくらさんを掘り下げてきましたが、Youtubeなどで歌を聞いてみると、これは力を掛けて売り出してみたいと思うぐらいの歌唱能力があったと思います。しかしながら環境が大和さくらさんに合わず芸能活動をフェードアウトする形となってしまいました。
才能がある人ほど、芸能界での活動は上手く行かずフェードアウトして行ってしまう事が多いような気がします。才能があって気持ちが優しい人は芸能界のようなどうしても売れたいという人の集まりの中では厳しい状況に追い込まれていくのかもしれません。
はじめまして。
ふと、大和さくらさんの事が気になり、ググってこちらにたどり着きました。彼女については都はるみさんがプロデュースした次世代演歌歌手と記憶してます。特にファンでも無かったのですが、印象に残っているのが、大和さくらさんが伸び悩んでいた時期の都はるみさんへのインタビュー記事です。(雑誌名は憶えてません)内容的には大和さくらさんに対して非常に手厳しい内容で『(次の都はるみにしたいのに?)実力も努力も足りない。困ったもんだ』という内容で大和さくらさんの売り出しを半ば投げ出した感じの記事でした。経緯はともあれ少女の人生を奪う形で売り出しておきながら、都はるみさんの非常に無責任な発言が印象に残っています。それから暫くしてから都はるみ自身が『大阪しぐれ』で(大和さくらを諦めて?)復帰したイメージです。