演歌歌手 金沢明子のプロフィールと現在の活動。コンサートは?「イエロー・サブマリン音頭」の誕生秘話は?
出典:〔amazon〕金沢明子 デビュー40周年記念全曲集
演歌歌手金沢明子さんを色々な角度から掘り下げていきます。
目次
プロフィール
- 氏名 金沢明子
- 生年月日 1954年10月25日
- 出身地 千葉県 市川市
- カテゴリー 民謡歌手 演歌歌手
- 活動開始 1975年
- 所属事務所 オフィスカナザワ
- 所属レコード会社 徳間ジャパン
プロフィールと現在の活動。コンサートは?「イエロー・サブマリン音頭」の誕生秘話は?
津軽民謡が得意だったアマチュアの民謡歌手の父の影響で民謡を始めました。16歳の時に、日本民謡協会主催の第19回全国大会個人優勝杯戦優勝しました。1975年に『若い民謡』でレコードデビューを果たしました。
民謡界の百恵ちゃんと呼ばれていました。1975年当時歌手の山口百恵がブレイク状態にあり、色々な業界で○○業界の百恵ちゃんって呼ばれた人が沢山いたほどです。因みに現在も政治の世界で活躍する片山さつきさんは東京大学在学中に東大の百恵ちゃんと呼ばれたこともありました。
金沢明子さんも民謡界の百恵ちゃんと呼ばれており、民謡界の中では一番かわいいという事の証明のようです。さて人気はあったことは確かですが、それを維持していくのは大変でした。
民謡出身者で芸能界成功例があまりないので、パイオニアとして苦労を重ねました。しかし1982年、大瀧詠一さんのプロデュースでイエローサブマリン音頭をリリースしました。この曲は、ビートルズのヒット曲イエローサブマリンを音頭調にアレンジして金沢明子さんに歌うチャンスが回ってきました。
当初は、レコーディングディレクターがこの企画を温めていましたが他者にナイアガラ音頭を先にやられてしまい、一度はこの企画は頓挫する物の大瀧詠一さんとレコーディングディレクターが出会ったことでこの企画が復活しました。
金沢明子さんは、この曲のレコーデング当時大瀧詠一さんが松田聖子さんをプロデュースしていたこともあり、松田聖子さんのようにかわいく歌う事を思い描いていたのですが、コブシを入れて歌うように指導され、期待した物とはほど遠いできとなってしまいました。
さて、プライベートに少し話を移していくと、2度結婚しており、1度目はフジテレビの社員、2度目は歯科医師の人と結婚しています。因みに1度目の結婚の際に人気が落ち込んでしまい芸能生活に相当暗い影を落としたことは間違いありません。追い打ちをかけるように2度目の結婚(のちに離婚)の時に立てた豪邸は手放す羽目になり、4億円もの借金があったそうです。今は完済しているとのことですが、壮絶ですね。
さて現在の活動状況ですが、2016年デビュー40年を迎え新曲夕月の宿と全曲集をリリースしました。その他ではコンサートも予定されています。日程は下記の通りです。以下
(URL: https://ameblo.jp/kanazawaakiko/より引用)
- 4月6日(土)
茨城県小美玉市(茨城放送公録)
- 5月26日(日)
千葉県東総文化会館(千葉県旭市ハの666番地)
夢スター歌謡祭『歌とコメディー2019』
加藤茶/高木ブー/仲本工事/黒沢年雄/冠二郎/金沢明子
昼の部/開演 14:00 夜の部/開演 18:00
<チケットお問い合わせ>0570-064-724
金沢明子さん単独のコンサートではありませんが、色々な歌手の方と一緒に行うこれボレーションライブです。また、今年追加で予定が発表される可能性があります。
まとめ
今回は金沢明子さんを色々な角度から掘り下げてきましたが、借金を返すために色々な苦労を積み重ねているそんなイメージがあります。
それで芸能界に生き残りを懸けた結果、未だに残ることが出来ています。まあ歌が上手いから残っているという見方も出来ますし、色々と行った結果生き残っているという見方があります。
今後の活動も楽しみな一人ではありますね。
金沢明子様 日本人ハートをここまで理解した歌集は希有です。こちら、「令和オンライン万葉集」に各界の著名人にエッセイか詩、短歌を書いていただき、500年タイムカプセルに入れる作業に入っています。「日本の心」というタイトルでご寄稿くだされば収録致します。学会ですのでギャラは出せないですが、よろしく。送り先は 下記の通りです。 info@romanticism.jp 日本浪漫学会会長 濱野成秋