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三橋美智也の死因と歌手としての評価。家族は?「古城」「武田節」の誕生秘話は?

出典:[amazon]永久保存盤 三橋美智也 特選集

昭和の偉大な歌手三橋美智也さんを色々な角度から掘り下げて行きます。

プロフィール

  • 芸名 三橋美智也 (本名 北沢美智也 )
  • 生年月日 1930年11月10日
  • カテゴリー 民謡歌手 歌手
  • 出身地 北海道上磯郡上磯町峩朗
  • 所属レコード会社 キングレコード
  • 活動期間1942年~1995年

死因と歌手としての評価。家族は?「古城」「武田節」の誕生秘話は?

三橋美智也さんの死因については、糖尿病から来る多臓器不全で1996年1月に他界しました。三橋美智也さんの歌手としての評価で特出しなければならないのは売上です。総レコード売上枚数が1億枚を突破しています。

平成だけでカウントするとB’zが8000万枚を超えて1位ですから1億枚という数字がどれだけ凄かったかが解ります。 物無い時代に何故こんなにレコードが売れたのか?不思議で仕方がありません。恐らく想像するにレコードプレイヤーを持っていなくても三橋美智也のレコードを所持していた人が多かったのでは無いかと考えられます。

当時はレコードプレイヤーの値段も相当効果で手を出すことが出来なかったと言えます。三橋美智也さんがデビューした昭和20年代はレコード価格が概ね2000円位で販売されていました。 当時の物価は、戦後の公務員の給与が4000円~8000円だったので、どれ位レコードが高価なモノだったのかはわかります。

そんな中でも三橋美智也さんのレコードを手にしたという事はどれだけ三橋美智也さんの歌が世の中に響き、思わずレコードを購入したいという衝動が働いたのかが解ります。

また、冒頭にも触れましたがレコード売上が1億万枚売り上げているにもかかわらず国からの表彰は受けていません。芸能に関しての評価が低かったのかなと感じてしまいます。今であれば恐らく何らかの賞を国から貰っているはずです。 紅白には14回出場しており、トリ2回、大トリ2回穫っています。音楽業界筋と一般大衆では勿論1億枚を突破した歌手なんていないので、評価は高いのですが国としてはあまり評価してくれない事が少し残念です。

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家族については、最初の妻と2子を設けてその後離婚し別の人と再婚3子を設けました。その後家庭生活が上手く運ばず、東京の家を出て大阪のマネージャーの自宅で暮らす日々が続いていました。 また、事務所であったサン三橋が倒産し200億円の負債を追うなど驚異的なレコード売上とは裏腹に晩年は寂しい人生を過ごしたようです。今後、メディアが調べて行くと新たな事実が発覚する可能性もあります。

ここからは三橋美智也さんの楽曲「古城」「武田節」について書いて行きます。「古城」は300万枚の売上を記録しており三橋美智也さんのリリースしたレコードの中で売上1位です。 発売は1959年7月、作詞:高橋掬太郎、作曲・編曲:細川潤一のコンビで作られてヒットしました。しかし、当時どの様な背景があって売れたのかについては詳細がわかりませんでした。

「武田節」については、1961年に作詞、米山愛紫 作曲、明本京静のコンビで製作された物で本来の政策目的は三橋美智也さんが歌う民謡テイストの歌謡曲という位置づけで発売されましたが、武田信玄が山梨にゆかりがある事もあり山梨の民謡と見なされている見解もあります。

作詞作曲には著作権が生きており作詞は2022年、作曲は2023年までとなっておりその後は著作権が切れるため自由に色々なところで使用することが出来ますが現時点では著作権管理元に許諾を取る必要があります。

まとめ

今回は三橋美智也さんを掘り下げてきましたが、この記事を書くまでレコード売上が総売上1億枚を超えていることは知りませんでした。何故、それを知らないのかなと考えたときに行き着いた答えは取り上げられていないからと言うことです。

最近の音楽番組でCDの売上などを取り上げるときは平成期のアーティストが主で昭和については触れなくなってきました。そのため昭和の偉大な歌手の功績を知らないままここまで来てしまったという事が言えます。 もっと偉人の功績を取り上げても罰は当らないと感じてしまいました。

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