石原裕次郎の死因と歌手としての評価。人気曲「北の旅人」「ブランデーグラス」「赤いハンカチ」の誕生秘話は?
出典:[amazon]石原裕次郎ベストヒット30
歌手、俳優として昭和の時代に一際活躍した石原裕次郎さんを色々な角度から掘り下げて行きます。
目次
プロフィール
- 氏名 石原裕次郎
- 存命期間 1934年12月28日~1987年7月17日
- 活動期間 1956年~ 1987年
- カテゴリー 俳優、実業家、歌手、タレントetc.
死因と歌手としての評価。人気曲「北の旅人」「ブランデーグラス」「赤いハンカチ」の誕生秘話は?
死因については、食道静脈瘤で亡くなっています。あくまでもインターネット上の噂ですが、C型肝炎を発症しており病状進行により上記病気に移行したのでは無いかと言われています。
C型肝炎という事であれば現在の医学では治癒することが出来る病気になってきましたから、時代が違っていれば俳優として復活して仕事をしている場面をみる事が出来た可能性は否定できません。
歌手としての評価は、レコード売上枚数で見れば相当な大ヒット歌手と言って良いと思います。昔は映画が制作されると主演俳優が主題歌を歌うことも当り前の時代でした。そのため石原裕次郎さんもその流れに乗る形でレコードが多数リリースされています。
石原裕次郎という人を考えるとき世間のイメージは、俳優で歌手と答える人は少ないと思います。主演映画が制作され、主演で歌を歌わないとならないため歌っていたのですが、売れたため歌手としての活動も継続されたと思います。
石原裕次郎さんの歌を聞いたことはありますが、味のある歌という感じです。石原裕次郎さんがデビューした当時の芸能界では高身長の俳優というのがあまりいないので石原裕次郎さんはある意味では希有な存在でした。
そんな高身長の人は外国人以外では、あまり見たことがなかったため俳優としても成功したし歌手としても上手く行ったという感じなのかもしれません。歌手として石原裕次郎さんが成功したのは主演映画がヒットしたからだと考えられます。
ここからは、石原裕次郎さんの楽曲「北の旅人」「ブランデーグラス」「赤いハンカチ」について書いて行きます。「北の旅人」は作曲をした弦哲也が北海道旅行中に作曲し歌い出しの部分も作詞しました。
残りの部分を山口洋子さんが作詞して完成させました。レコーディングは病気療養していたハワイでレコーディングされた作品です。オリコンでは週間1位を獲得し21.9万枚の売上を記録しました。
また、TBSで放送されていたベストテンにもランクインし亡くなった後もランクインし続けて最高3位を記録しました。累積売上は125万枚を記録しました。
「ブランデーグラス」は発売当時全く響かず初回プレスも3500枚に留まりましたが、
発売から2年後にドラマ西部警察の中でこの楽曲を石原裕次郎さんが歌うシーンが追加されてそれがきっかけとなって全国的に認知されました。
オリコンヒットチャートで最高11位、実に65週間に渡りチャートインしました。売上累積は152万枚を記録しています。因みにブランデーグラスは3回に渡り再発売されておりB面曲が全て異なっています。
「赤いハンカチ」は、同名主演映画の主題歌であり、当時はどの程度世間に響いたかどうかはよく解りませんが、映画は大ヒットしました。恐らく映画がヒットしたので主題歌も引っ張られる形で売れた可能性があります。
まとめ
昭和の大スターとして知られる石原裕次郎さんを掘り下げてきましたが、一俳優として映画会社に入社して、その後映画制作を目的として石原プロモーションを設立し俳優業もやりながら代表取締役社長となったというのでかなりのやり手だったのかなと感じてしまいます。
一時は小樽に記念館も構えていましたが、閉館してしまい石原プロモーション自体も先日解散しました。何だか一つの大きな時代が終わったということが明確になった感じがします。
元々、石原裕次郎さんが死去した際に会社を畳むように奥さんに伝えてあったという事が明らかにされましたが、昭和、平成、令和と会社を運営できたことは凄いことだと思います。平成時代に一人でも俳優がブレイクしていれば風向きは変わったかもしれません。
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