五木ひろしの家族は?歌手としての評価は?「長良川艶歌」「細雪」「契り」の誕生秘話は?
出典:[amazon]五木ひろし 全曲集2020
超ベテラン演歌歌手の五木ひろしさんを色々な角度から掘り下げます。
目次
プロフィール
- 芸名 五木ひろし(本名 松山数夫)
- 生年月日 1948年3月14日
- 出身地 福井県 三方郡
- カテゴリー 歌手、作曲家
- 所属事務所 株式会社五木プロモーション
- 所属レコード会社 ファイブズ・エンタテインメント
- 活動開始 1964年
家族は?歌手としての評価は?「長良川艶歌」「細雪」「契り」の誕生秘話は?
家族については、奥さんが元女優さんであり、和由布子という芸名で芸能活動をしていました。1981年にミス着物に選ばれ、翌年にNHKのドラマ波の塔に出演し女優デビューを果たしました。
ダジャレで有名な演出家和田勉さんの勧めも有り女優活動をしていたため、結婚が決まった際にはカメラの前で激怒されていたのを覚えています。まあ、自分が発掘したと言う思いもあり女優としての才能も認めていたので怒りに変わったのでしょう。
因みに1984年には『化粧』と言う作品に出演し、日本アカデミー賞新人賞を受賞しました。そのまま女優を続けていれば、どの程度のところまで行けたのか正直解りませんが相当な位置まで行くことが出来たのは確かでしょう。
五木ひろしさんと出会い、猛アプローチを掛けて結婚にこぎ着け1989年以後、芸能活動を引退しています。子供は3人いて長男は大学卒業後、外資系の会社に入社したとの情報も有り、芸能関係の仕事はしていないようです。
次男は、一時モデルをしており青山学院大学に通っていましたが中退したという情報がありますが、現在はどの様な活動をしているかは不明です。今後も表舞台に出てくる可能性はとても少ないでしょう。
長女は、青山学院大学に通っており過去に父親と一緒にテレビ出演をした経験を持っていますが、芸能活動の経験は無いようです。大学を出ておけば色々な選択肢が広がりますからね、どの様な活動をするのか続報を待ちたいと思います。
歌手としての評価は、ヒットするまでに3回の改名を重ねており相当な苦労を積み重ねてきたことを想像させます。1970年代に入り五木ひろしに改名した後、『横浜たそがれ』に出会い、歌手としてブレイクしていきます。
人と人の出会いが開運を呼び込んで歌手としても、ブレイクしたという事がはっきり解ります。また、歌手としてと言うよりもエンターテナーとして色々な事に挑戦する貪欲さに感服します。
現在までに出来る楽器は9つあり、自分が興味を持ったら挑戦し領域を拡大させていくようです。また、若手の歌手の曲も積極的にカバーしておりCD化していない物もありステージ上で歌って最後というカバー曲もあります。
ここからは、五木ひろしさんの楽曲「長良川艶歌」「細雪」「契り」について書いて行きます。「長良川艶歌」は、岐阜の長良川を舞台にしたご当地ソングであり五木ひろし史上最大のヒット曲です。
1985年4月25日発売の作品のB面は徒然の花、同年8月25日発売分からおはんに差し替えるという異例の作品でもあります。同名タイトルの映画主題歌となっている為この対応を取った物と思われます。
この曲でレコード大賞・大賞を獲得、日本歌謡大賞・大賞等を獲得し歌手としての地位を益々固めました。「細雪」1983年6月に発売したシングルで、このシングルもB面が差し替えられており、発売当初は『のぞみ』だったが、『雪の蛍』に差し替えられました。
しかし、この差し替えた理由は明らかにはなっていないが、レコード番号だけが異なるということなので買ったという人は調べて見ると面白いかもしれませんよ。「契り」は作曲を五木ひろしさんが担当した楽曲です。
この曲は映画『大日本帝国』の主題歌になっていました。因みに五木ひろしさんが自身で作曲している楽曲はシングルだけで28曲あります。楽器を9つ出来るというので色々と弄っているうちに出来てしまうのだと思います。
今後も気が向けば、新しい楽曲を生み出す可能性はとても高いですね。歌を歌うことが仕事なので、何曲も歌ってくるうちに自分でも作って見たいという衝動に駆られても可笑しくないと思います。
まとめ
五木ひろしと言うと、フットワークは意外と軽いし色々な事に手を出して自分のコンサートなどに役立てようとしている人だと感じました。今後も領域をどんどん広げて行くと思われます。
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