演歌歌手久保幸江の死因と歌手としての評価。「トンコ節」「ヤットン節」「旅は楽しいシュッポッポ」の誕生秘話は?
出典:[amazon]日本の流行歌スターたち(24)久保幸江
戦後の混乱期にオーディションに合格し歌手になりましたが、波乱万丈の人生を送った久保幸江さんにスポットを当てます。
目次
プロフィール
- 芸名 久保幸江 (本名 篠原幸江 )
- 生年月日 1924年1月24日
- カテゴリー 歌手
- 活動期間 1948年~ 2005年
- 所属レコード会社 ビクターレコード
死因と歌手としての評価。「トンコ節」「ヤットン節」「旅は楽しいシュッポッポ」の誕生秘話は?
2010年9月7日未明、東京都内の老人施設で突然意識を失い倒れ病院に搬送しましたが、翌日心不全で他界しました。享年86歳でした。他界後すぐに発表されたわけではなく2年経過したのちに明らかとなりました。
歌手としての評価は、戦争でシンガポールに移住その後帰国し1500人の応募者の中から日本コロムビアのオーディションに合格し1948年にデビューしましたが、いきなり売れることはなく不発の時代が続いていました。
民謡を歌謡曲にアレンジした面白いものでしたが世間の注目を惹くことは出来ず思い通りに歌手活動が出来なかったことは否定できません。しかし、作曲家古賀政男氏が炭坑節に興味を抱いており、この曲を都会的にアレンジ。1949年「トンコ節」として発売しました。
発売当初は、まったく売れずこれまた世間に響かないまま終わってしまうのかと考えていましたが、場所かまわず一人で歌いまくり世間に響きようやく売れる形となりました。その後新人歌手の加藤雅夫氏と共にレコーディングした「トンコ節」が大ヒットしました。
この曲のヒットで松竹が「初恋トンコ娘」を製作し封切りする形になりました。また、人気投票で美空ひばりを抑え一位になるほどの人気を獲得したこともあります。その後は、「ヤットン節」野村 俊夫 補作詩 / レイモンド 服部 補作曲・編曲 が30万枚のヒットとなりました。
その後歌手としては、コミックソングを主に歌うことになってしまいました。「旅は楽しいシュッポッポ」という歌を歌いましたが、1955年に日本舞踊に転向すると発表しビクターレコードへと移籍しました。
その後外交官と結婚し芸能界を引退しました。しかし、渡辺はま子さんの勧めで歌手活動を再開しましたが、ヒットに結びつくことはありませんでした。晩年は甲状腺の手術で声帯を一本摘出されてしまう医療ミスに見舞われてしまうなど不運に見舞われました。
懸命なリハビリで復活を遂げ、歌謡教室をしながら歌手活動をしており定期的に作品をリリースしていました。しかし、体調を崩し2003年に引退しました。
まとめ
今回は久保幸江さんを掘り下げてきましたが、戦後の混乱期をうまく乗り越えて歌手活動をしてきたということは判ります。また、コロムビアレコードのオーディションに1500人の中から合格するという強運の持ち主です。
歌手としては不遇の時代も経験しましたが、最終的にはヒットを掴んでいい時期を過ごしたこともありました。外交官と結婚したにもかかわらず歌手活動を再開するということは歌手に対して未練があった可能性は否定できません。
しかしながら、復帰後はそんなに活動は上手くいっていないようです。最後は体調不良で活動が継続できないままフェイドアウトするような形となってしまいました。また、死去の事実も2年伏せられていたのか?それとも何かのきっかけで明らかになったのかは不明ですが、晩年は結構不遇の時代だったといえます。
現在もあの芸能人どうしてるんだろうと思うと、もうすでに死んでいるということはあるかもしれません。最近概ね、近親者で葬儀を済ませてから世の中に発表されることが多くお別れ会も行われないことも多いです。
コロナ渦ということもあり、あまり人と人は触れないということを良しとしているのでこれからもこういう事例が増える可能性があります。昔の方が芸能人の死去も少し華やかな感じがありました。
最近は本当にしめやかに終わるということが多いです。
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