演歌歌手佳山明生のプロフィール。結婚してる?日野美歌との仲は?「氷雨」の誕生秘話は?
出典:[amazon]佳山明生全曲集~歌一生~
「氷雨」のヒットで知られる佳山明生さんを色々な角度から掘り下げていきます。
目次
プロフィール
- 芸名 佳山明生(本名 長谷 茂浩)
- 生年月日 1951年9月19日
- 出身地 北海道 函館市
- カテゴリー 歌手
- 所属レコード会社 徳間ジャパン
- 活動開始 1977年
プロフィール。結婚してる?日野美歌との仲は?「氷雨」の誕生秘話は?
1970年、伝説の作曲家古賀政男さんに師事し、その3年後1973年美輪明宏さんから現在の芸名を名付けて貰いました。1977年に後に紹介する氷雨で歌手デビューを果たし、実にデビューするまで7年の時間を要しました。
因みに歌手としての夢は、紅白出場でした。今の紅白はそれほどの価値がありませんがこの当時の紅白はヒット歌手の証を貰えたような物で、地方へ営業に出向く際ギャランティーが跳ね上がったという位立場を変える物でした。
民放の放送局であれば、系列局がない地方もあります。しかし、NHKは全国何処に行っても放送を見ることが出来ます。そのため、知名度を上げるには絶対に達成しなければならない目標のひとつです。
さて、現在の歌手活動としては2020年9月16日『別れて横浜』をリリースする予定で、この他レギュラーラジオ番組、佳山明生のナイスキャッチミュージックも放送中です。
近年は、一年に1枚シングルをリリースする事が出来ており、それなりに歌手活動は順風満帆に進んでいると考えて良いでしょう。ある程度のセールスが見込めるとレコード会社から見込まれていると言う事かもしれません。
結婚については、公式に奥さんが居ると発表はしていません。そのため独身の可能性もあるし、結婚しているという可能性もあります。今後どこかでプライベートな事を語ることもあるかもしれません。
佳山明生さんと日野美歌さんの関係は、後に触れる楽曲『氷雨』を共作した関係に有り、特に佳山明生さんは、この曲が売れた後酒浸りと不摂生が祟り、耳から出血し救急搬送されてこれが原因となり歌手活動を休止しました。
その間にこの歌を歌い続けていた日野美歌さんに逆恨みをしていた時期もあったようです。現在はその複雑な感情は整理され払拭されたようですが、その当時は自分の歌手活動が上手く行かなかったので苛立ちをぶつける場所が無かったのでしょう。
ここからは佳山明生さんの楽曲、「氷雨」について書いて行きます。この曲がリリースされたのは1977年、直ぐには売れなかったが、1980年代前半カラオケブームが到来し1981年、82年に再リリースを繰り返しやっとヒットを手にしました。
これは、佳山明生さんにとって人生初のヒットそのため、浮かれ倒して有頂天になりました。高級クラブに通い一晩で100万円をつぎ込むことも珍しくなく、総額で2億5000万円をつぎ込みました。
しかし、佳山明生さんが浮かれて居る間に新人歌手の日野美歌さんがデビューし、曲が「氷雨」それを知った佳山明生さんが確認すると、担当していたレコード会社の人間が既に亡くなっており権利関係が未申請となっていたことが発覚しました。
「氷雨」のブームが去り歌手としてヒットが出ずに、悶々とした時期を過ごす佳山明生さん。50万枚の売上を記録しトップ歌手の仲間入りを果たした日野美歌さん。対照的な人生を過ごすことになってしまいました。
当時は完全に日野美歌の「氷雨」、と言う構図が出来上がってしまいTBSで放送されていたベストテンで二人が「氷雨」で共演、ワンコーラス目を日野がツーコーラス目を佳山が歌うと言う屈辱的扱いを受けてしまい、益々やさぐれる結果となりました。
その後はヒット曲を飛ばすことは出来ず、佳山明生さんは歌手として一度どん底を味わいましたが、地道に歌手活動を続けており、現在もレコード会社との契約がありそれなりに期待されている歌手とも言えます。
過去にも、共作した楽曲は沢山ありますが、いずれもヒットしてどちらの歌手も良い感じの関係になりますが、権利関係が不十分だったことと佳山明生さんの体調が優れないので余計に苛立ちをぶつけた可能性があります。
まとめ
今後も歌手活動を頑張って欲しいと思います。
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