作曲家中村泰士の現在の活動。結婚してる?「喝采」「北酒場」「そして…めぐり逢い」の誕生秘話は?
出典:[amazon]人生満喫
作曲家の中村泰士さんを色々な角度から掘り下げていきます。
目次
プロフィール
- 氏名 中村泰士
- 生年月日 1939年5月21日
- 出身地 奈良県 北葛城郡王寺町
- カテゴリー 作曲家
- 活動開始 1957年
現在の活動。結婚してる?「喝采」「北酒場」「そして…めぐり逢い」の誕生秘話は?
現在は、音楽活動を今までと変わらず行っています。しかし、2020年9月に体調不良を訴えて10月に大阪市の大学病院で検査を受けたところ肝臓に腫瘍があることが発覚しました。
現在転移などは無く体調は至って良好です。しかしながら2週間抗がん剤治療を受けました。そんな最中ではありますが、音楽活動の方も着実に進めています。まず時代やジャンルを超えた穏やかで優れた輝く『GPOP』と言うコンセプトを提唱。
同名のYouTubeチャンネルを立ち上げています。最近スタートした物かと思いましたが調べてみると2011年5月14日にスタートし、38本の動画がアップロードされています。
結婚しているのかについては、星ますみさんと92年に結婚しています。ファッションモデルをしていた事もあり、鳴り物入りで歌手デビューした経験を持っています。現在芸能活動はほとんど行っていないようです。
しかし、事業を興しており有限会社ドット・エムズエム 代表取締役と言う肩書きを有しています。本社は大阪に有り、水戸と大阪を行き来する多忙な日々を過ごしています。2006年2月に創業。
事業内容は、ストレスをためないで加齢速度を遅くする美容商品の販売です。その他ではメディカルメークも大切な事業の一つです。乳がんを宣告され右胸を失った物の8年後に再建しています。
一度余命を宣告されており、現在事業を続けているのは、自分の持っているスキルで社会貢献できたら良いと考えているようです。続いては中村泰士さんの作曲した楽曲「喝采」「北酒場」「そして…めぐり逢い」について書いて行きます。
「喝采」をリリースする前にちあきなおみさんに別の曲を提供しました。その曲は、「禁じられた恋の島」。作詞は、吉田旺、作曲は、中村泰士さんのコンビで製作されました。ポップス調で良かった物の世間に響く事は無く空振りに終わってしまいました。
しかし、中村泰士さんは諦めきれなくてちあきなおみさんに曲を書かせて欲しいと日本コロムビアに直訴し、再び同コンビで楽曲制作をするに至りました。作曲に取りかかりましたが、完成するまで2ヶ月間が掛りました。しかし、冒頭の4小節を書くとその後はすんなりとメロディーが出て来たようです。
「喝采」を書くに当り、参考にした曲は「アメイジンググレイス」と「蘇州夜曲」で音階も歌謡曲では珍しい4番目と7番目の音を抜いたメジャーペンタトニックスケールを採用しました。
また、歌詞も「蔦が絡まる白い壁」「教会の前にたたずみ」の2行を付け足し作詞の吉田旺さんに渡し「喝采」は完成しました。しかし、歌詞の内容を巡ってレコード会社と対立してしまい一時リリースが危ぶまれました。
その内容とは、「黒いふちどり」と言う文言が縁起悪いので変更してくれとレコード会社から言われ、歌詞の核なのでという事で変更を拒否。タイトルも幕が開くと言うタイトルでしたが、こちらは「喝采」となってリリースとなりました。
レコーディングは、裸足でスタジオに入り暗幕を張り歌う姿を見せないというスタイルで行われ、結果として紆余曲折ありましたがヒットさせることが出来ました。「北酒場」は1982年1月に細川たかしさんがレコーディングしました。
しかし、レコード化される予定はなくデモテープの段階でした。しかし、当時細川たかしさんがレギュラー出演していたバラエティー『欽ちゃんのどこまでやるの!』の中で何か1曲歌うことを提案されこの曲が採用されました。
同番組内で1月27日に初披露し9月15日まで毎週歌われ世の中に浸透する形でヒットしました。ポップス寄りの曲調で誰にでも歌えそうな印象を与え歌えると思わせるためヒットしたのだと思います。
この当時萩本欽一さんは視聴率男と言われており、バラエティー番組を次々と立ち上げては成功させていた伝説を持っています。「そして…めぐり逢い」は五木ひろしさんの楽曲で生前にテレサテンがカバーしていたことから、編集しデュエット盤がリリースされています。
まとめ
今後も沢山の名曲が出来てくる可能性が高いですね。
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