歌手林伊佐緒の死因と歌手としての評価。「長崎の人」「出征兵士を送る歌」「ダンス パーティーの夜」の誕生秘話は?
出典:[amazon]決定版 2020 林伊佐緒
歌手の林伊佐緒さんを色々な角度から掘り下げていきます。
目次
プロフィール
- 芸名 林 伊佐緒 (本名 林勲)
- 生年月日 1912年5月11日
- 出身地 山口県 厚狭郡王喜村
- カテゴリー 歌手・作曲家
- 活動期間 1936年~1995年
- 所属レコード会社 キングレコード
死因と歌手としての評価。「長崎の人」「出征兵士を送る歌」「ダンス パーティーの夜」の誕生秘話は?
1995年9月29日に肺炎のため他界しました。なんとなくなる3日前までラジオ番組に出演ており、急激に体調が崩れたと思われます。いつどのような形で人は亡くなるか不明です。3日前まで仕事をしていたので本人もまさか他界するとは思っていなかったと考えられます。
年齢は83歳でした。かなりの年齢まで生きたと思いますが、心残りではないかと思います。続いては歌手としての評判を書いていきます。スケールの大きい歌唱をする歌手といわれています。
テレビ番組で歌っているときにバックコーラスを圧倒していたというエピソードがあり、昔はマイクの性能が悪く、本番中に壊れてしまうこともあり、その際は歌手が地声でマイクを使用しているのと同じ状態で歌わなければならないといわれており声量も大切といわれていた時代でした。
もちろん、そんな時代ですから歌手として成功するコツの一つは声量のあることとされている時期もありました。現代は逆にマイクの性能が良すぎるのであまり声を張らなくても歌えるようになった時代といえます。
「長崎の人」という曲について調べてみましたがありませんでした。調べてみると「長崎の女」と書いて「ながさきのひと」と読む曲がありましたので、そちらの方で書いていきます。作詞、たなかゆきを、作曲、林伊佐緒のコンビで製作されました。
林伊佐緒さんは昔の歌手としては珍しく自分で作曲が出来るタイプの歌手でした。歌手の傍ら作曲家として活動していた時期もあります。本来は歌手の春日八郎さんに提供した作品ですが、YouTubeを検索すると本人歌唱動画もあります。
現在の歌手は自分で作詞・作曲をするのが普通ですが、昔は歌手・作詞家・作曲家と完全分業制となっており、作曲家・作詞家はレコード会社への専属が基本、歌手については現在もレコード会社との専属契約は必要ですが、最近はインディーズの歌手も増えてきています。
現在、作詞・作曲家については作家事務所に所属して仕事を受けるスタンスに変わってきました。しかしながら、作詞だけ、作曲だけを専門的に行っている所謂職業作家はだんだん減ってきています。
林伊佐緒さんに話を戻しますと、明治大学に通う傍ら現在の国立音楽大学があることに気づき音楽を学んだことで作曲が出来るようになったので、それが無ければ歌手専業になっていた可能性があります。
「出征兵士を送る歌」については、大手出版社が公募して選ばれた曲で作詞・生田大三郎、作曲・林伊佐緒は、両者ともに一等作詞家・一等作曲家です。つまり、出版社が選んだ作詞・作曲の大賞者です。
こういった曲を製作するのは、戦時中に戦う気分を高揚させる目的で製作されるための歌で、戦時中は軍歌同様様々な場面で歌われた楽曲となりました。林伊佐緒さんの他色々な歌手がこの曲を歌唱しました。
「ダンス パーティーの夜」については、作詞・和田孝夫、作曲・林伊佐緒のコンビで製作されました。ダンスパーティーの夜に出会って別れたという恋愛ソングといえます。昔の曲は言葉がシンプルですが伝わりやすいという感じがあります。
モダンなジャズテイストの楽曲であり、ゆったりと歌いこなしている印象があります。やはり昔から恋愛の気持ちの動きというのはやはり歌になりやすいという感じがあります。言葉で伝えればいいのにそれが出来ないのでその本心を歌にするのが神髄でしょう。
歌手や作曲家としての稼働年数は、59年間というとてつもない時間を歌手・作曲家として過ごすことが出来たことはすごいと思いました。現代の歌手も寿命が延びているので稼働年数がもっと長い歌手が出てきそうな予感があります。
まとめ
今後もこのような歌手は出てこない可能性があります。
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