作曲家徳久広司のプロフィール。家族は?代表曲「北へ帰ろう」「おまえに惚れた」の誕生秘話は?
出典:[amazon]徳久広司 演歌ベスト16 WQCQ-587
作曲家の徳久広司さんを色々な角度から掘り下げていきます。
目次
プロフィール
- 氏名 徳久広司
- 生年月日 1948年4月18日
- 出身地 佐賀県
- カテゴリー 歌手、作曲家
- 所属事務所 不明
- 活動開始 1975年
プロフィール。家族は?代表曲「北へ帰ろう」「おまえに惚れた」の誕生秘話は?
音楽活動をスタートさせたときから、作曲家として活動していたわけではなく歌手として1975年から1年間歌手活動をしていました。その後、作曲家に転身しました。徳久広司さんの師匠は小林亜星さんです。
弟子はどんな仕事をするのかというと、基本的には無給で師匠の身の回りの世話をするという事、そして師匠を通して音楽の仕事の進め方やアレンジなどのジャンルに対するアプローチの仕方などを学んで行きます。
そしてそのうち、独り立ちをして作曲家として仕事をしていくようになります。徳久広司さんに話を戻しますと、弟子入りして色々と学んだ後で作曲家に活動を一本化して現在に至っています。
最新曲は、2020年10月21日にリリースされたあおい大輔さんの新曲、『ああ染みるぜ』が最新曲です。因みに直近は3~4曲作曲しリリースされているため、発売日順では上記の曲が新曲となります。
現在は日本作曲家協会理事と言う肩書きも持っています。今後もバリバリと作曲活動を継続していく物と思われます。家族については、調べてみましたがイマイチよく解りませんでした。今後どこかでインタビューを受けてプライベートな部分が明らかになる可能性はあります。
続いては、徳久広司さんの代表曲「北へ帰ろう」「おまえに惚れた」について書いて行きます。「北へ帰ろう」は、徳久広司さんが歌手としてのデビュー曲に当ります。師匠である小林亜星さんが徳久広司を脚本家の向田邦子、演出家の久世輝彦氏に紹介したことから始まりました。
その後、久世輝彦さんにある赤坂の店に呼び出され、『何か歌ってくれ』と言われ、久世輝彦、向田邦子両氏の前で歌った歌が「北へ帰ろう」でした。この歌を聞いて気に入った久世輝彦さんは「北へ帰ろう」を『寺内貫太郎一家第二部』の挿入歌に抜擢しました。
この曲がドラマの中で流れると、テレビ局の電話が鳴り止まない状態となりました。内容はほとんどドラマ内で流れたこの曲のことについての問い合わせだったという、そして徳久広司さんも流しの徳さんとしてドラマに出演していました。
後に、小林旭さんにこの曲はカバーされましたが、この歌の後作曲家に何故か転身してしまいました。続いては「おまえに惚れた」は、1980年2月1日リリースされた楽曲で後に、1989年版、1991年版とリリースされていますが、カップリング曲が異なっています。
因みに美空ひばりさんのsingle売上の中では、18位にランクインしています。その後色々な歌手にカバーされていますので、美空ひばりさんバージョン以外の物を聞いたことがあるという人もいるかもしれません。
まとめ
今回、作曲家の徳久広司さんを掘り下げてきましたが、作曲した数がとても多く今では売れっ子作曲家ですが、元々歌手をしていたと言うのは今回この記事を書くまで知りませんでした。
しかし、デビュー曲はそれなりに注目されておりヒットもしたようですが、何故かこの後作曲家に転身してしまいました。自分が歌うよりも曲を書いた方が伝わりやすいと感じたからなのかは不明ですが、その選択は正解だったような気がします。
多くの歌手が徳久広司メロディーを歌っており、世間に浸透しています。また、現代でも沢山の依頼が舞い込んでおり、毎月のように新作がリリースされています。今後どの様なアプローチの演歌が生み出されるのかがとても楽しみではあります。
師匠である小林亜星さんも人間的には優しい人であるという事は言えますね。師匠が弟子を紹介するというのは、ある程度見込みがあると言う証拠です。まあその期待に応えて挿入歌ながら売れるというのは凄いですね。
徳久先生の大ファンです。
アメリカに住んでおりますが、
徳久先生の弾き語りの歌を聴きながら、
懐かしく日本を思い出しております。
私は病気で、中々思うように動きませんが、
徳久先生にお会い出来れば嬉しいですね。