小林旭の現在。歌手としての評価や評判は?「さすらいの道」「昔の名前で出ています」の誕生秘話は?
出典:[amazon]GOLDEN☆BEST 小林旭 ヒット全曲集
俳優と歌手の両輪で活躍した小林旭さんを色々な角度から掘り下げていきます。
目次
プロフィール
- 氏名 小林 旭
- 生年月日 1938年11月3日
- 出身地 東京府東京市世田谷区(東京都世田谷区)
- カテゴリー 俳優、歌手
- 活動開始 1965年
現在。歌手としての評価や評判は?「さすらいの道」「昔の名前で出ています」の誕生秘話は?
現在は、歌手として活動を継続しています。夢グループという通販会社が企画しているコンサートに出演するなどしていますので、コロナが明けてエンターテイメント業界がまた動き出すことが出来れば、ステージに立つ姿を見ることは出来ると考えられます。
今年に入ってからのニュースで言えば、奥さんであった青山京子さんが亡くなったという事で小林旭さんの名前が夫として報じられました。仕事としては時折バラエティー番組に出るぐらいですが、まだ存在感を示しています。
小林旭さんは、元々映画俳優としてデビューしました。幼少期は子役もやっていたようでその後、日活ニューフェイスに合格し映画俳優となりました。この当時俳優になるにはこのニューフェイスというオーディションを受けて合格し、映画俳優としてデビューするのが一般的で日活の他、東映、東宝、大映、松竹、がそれぞれにオーディションを行いスター発掘していました。
そして、映画会社と女優俳優は専属契約し、映画撮影をするのが正規のルートです。今では考えられません。現在では、芸能事務所のマネージャーが街を歩いてスカウトや、色々なオーディションで芸能界入りするのが一般的です。
しかし、小林旭さんが俳優としてスタートした時期は、映画会社が主演俳優を決めて一年間に数十本の映画を封切り、それと同時に主題歌もレコーディングしますので、同時に歌手デビューもすることになるのが当り前の流れとなっていました。
そのため、映画俳優でありながら歌手という事にもなるわけです。沢山のヒット曲を持っている映画俳優も沢山います。昔は映画俳優=歌も歌えると言う方程式が自然となり立っていたと言っても過言ではありません。
当時の日本では娯楽の中心が映画で、テレビは1953年にNHKと日本テレビが開局しますが、まだまだ創生期という感じでした。なので、映画に出演してブレイクすればスターダムはそのまま約束されていたと言う事になります。
シングルレコードだけでも158枚リリースしています。この数字だけを見ても歌手としても歌は上手くファンを沢山掴んでいると言う事は確かであると言えます。個人的には歌手としても充分活動していけると考えています。
特に「昔の名前で出ています」は、小林旭さんが芸能活動状況として低迷期にあり、レコードを出してもあまり世間に響かないと言う状況でした。そこで、全国のキャバレーを小林旭さんが回るどさ回り(今で言う営業)を行って地道にプロモーション活動を行いました。
結果的に徐々に火がついて、ロングセラーソングとなりました。因みにこの時点で92枚目のシングルです。作詞は星野哲郎、作曲叶弦大、のコンビで制作されました。1977年に紅白歌合戦に初出場した際に歌唱もしています。
「さすらいの道」は、作詞、伊藤アキラ 作曲、森田公一で制作されました。歌の内容は演歌ですが、心に染み入る歌と言っても過言ではありません。因みにこの楽曲の他熱き心にや自動車ショー歌など数々のヒット曲があります。
まとめ
小林旭さんというと、最近は夕方のニュースで夢グループのコンサート特集がされた際に別格扱いをされていたのを目撃しました。そのため、まだお元気なんだと考えていたところです。
それと、昔の映画俳優の豪華なエピソードが今の常識では考えられない程凄いというのが驚きです。映画俳優としては二谷英明さんと同期というので少し驚きを隠せませんでした。二谷さんは晩年グレイヘアだったわけですが小林旭さんは、黒々ヘアだったので同期と言われても結び付きませんでした。
映画もレコードも沢山でているため、過去のエピソードやヒット曲などを歌うだけでも充分に存在意義があると言える存在です。と言うのも過去を知る俳優や女優が次々と他界しており語れる人が居なくなって言っているためです。
今後はバラエティーへの積極的出演を望んでしまいます。
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